• みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,079

    「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

    第62回:「ブレナム宮殿」とその庭園

    「風景式(イギリス式)庭園」創始者の1人「ランスロット・ブラウン」作品を紹介中! 今回は「ブレナム宮殿」とその庭園の変遷について・・・

    「ブレナム宮殿」はイングランド・オックスフォード近郊のウッドストックと呼ばれている場所(地図参照)にあります。その発祥を調べると、「スペイン継承戦争」(1,700年代初頭にスペイン王の継承権を巡りヨーロッパ各地で行われた戦争の総称)に含まれる<ブレナムの戦い>の功績で、マールバラ公「ジョン・チャーチル」(1,650~1,722年)が、アン王女から建設中の同宮殿を下賜された事がスタートとなっています。

    この宮殿の建物は、本館と柱建ての廊下で繋がった両翼棟から成り立っており、部屋数は200にも及びバロック様式の代表的建造物として高い評価を得ています。特に、黄金の天井を持つ「ステートルーム」、ロングライブラリー&サルーンの「大ホール」、ゆったりとした「中庭」などが有名。

    それ以上に高い評価を得ているのが庭園。ただし、宮殿創建当初に造られたのは建築家「ジョン・ヴァンブラ」設計の「幾何学式庭園」で17年の歳月を経て完成しました。だがその後大きな変遷がありました。

    まず、18世紀中盤に「ランスロット・ブラウン」により大改装が行われ、この時、人工の湖や運河も配され、総面積4,600ヘクタールに及ぶ「風景式庭園」に大改装されました。従って、現在も主庭となっている自然観あふれる庭園部分は、この時の作庭時とほぼ同様の形で残されていると見て間違いありません。

    ただし、これだけで改装は終わらず、1,925~1,932年にかけて「アシル・デュシェール」と言う人物によりあの「ル・ノートル」(「ベルサイユ宮殿」等の作庭者)風の「平面幾何学式(フランス式)庭園」が宮殿反対側に追加されています。従って、「ブレナム宮殿」の庭は広大な自然調と幾何学調の2つの庭が満喫できる、庭好きには垂涎の作品と言えるでしょう。ただ、創建当初の「ジョン・ヴァンブラ」設計の庭は殆ど残っていないと見るべきでしょう。

    庭園の見どころとしては、運河をまたぐ「グランドブリッジ」・同橋とボートハウスとカスケードを繋ぐ「グレートレイク」・1.2万エーカーのも及ぶ森・ローズガーデン・壁で仕切られた手の込んだ庭・噴水やテラス・ゆっくりくつろげる広大な芝生空間・大規模迷路・歴史的庭園建造物やモニュメント・・・などまさに見どころ満載!

    なお、「ブレナム宮殿」初代主の「ジョン・チャーチル」と言う名前を聞き何か気が付くことは? そう、その後チャーチル家は数々の偉人を輩出した名家で、有名な元イギリス首相「ウィンストン・チャーチル」もその子孫です。

    「ブレナム宮殿」鳥瞰写真
    「ブレナム宮殿」鳥瞰写真
    「ブレナム宮殿」初代主の「ジョン・チャーチル」
    「ブレナム宮殿」初代主の「ジョン・チャーチル」
    「グランドブリッジ」
    「グランドブリッジ」
    宮殿と幾何学式庭園(「風景式庭園」と反対側)
    宮殿と幾何学式庭園(「風景式庭園」と反対側)
    「ブレナム宮殿」(「風景式庭園」と反対側)
    「ブレナム宮殿」(「風景式庭園」と反対側)
    宮殿内部①「図書室」
    宮殿内部①「図書室」
    宮殿内部②
    宮殿内部②
    宮殿内部③
    宮殿内部③
    「ブレナム宮殿」の所在地
    「ブレナム宮殿」の所在地
  • みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,078

    「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

    第61回:「ハイクレア・カールス」&「ウォリック城」

    「風景式(イギリス式)庭園」の創始者とも言うべき「ランスロット・ブラウン」の作品を紹介中。このコーナーでは資料が少ない事もあり、イギリスの「ハイクレア・カールス」と「ウォリック城」を同時に取り上げます。

    「ハイクレア・カールス」

    「ハイクレア・カールス」はイングランド南岸の都市ハンプシャーにあるカントリーハウス(農村部に建てられた貴族の館)で、1,600年代に建てられました。なお、「ハイクレア」とは古くからある地名から来た名称。

    現存する建物はビクトリア朝風で豪華な装飾が施されたおり、1,842年に改築されました。ただし、マンションとして造られたもので、今も夏の間だけ一般開放されています。また、5代目当主の「カーナヴォン伯爵」(1,866~1,923年)は、エジプトのファラオ「ツタンカーメン」墓地の資金提供者(「ツタンカーメン」墓はその資金を公募で賄ったとの事)としても有名で、当時の発掘品が今も展示されています。補足するなら、同建物には現在も8代目の「カーナヴォン伯爵」夫妻が居住しています。

    庭園に関しては、前述のごとく「ランスロット・ブラウン」設計の「風景式庭園」ですが資料は殆どありません。興味ある方は自力で現地へ・・・

    ハイクレア・カールス」・・・ビクトリア朝調のマンション
    ハイクレア・カールス」・・・ビクトリア朝調のマンション
    「ハイクレア・カールス」庭園①
    「ハイクレア・カールス」庭園①
    「ハイクレア・カールス」庭園②
    「ハイクレア・カールス」庭園②
    「ハイクレア・カールス」庭園③・・・レバノン杉が有名
    「ハイクレア・カールス」庭園③・・・レバノン杉が有名
    5代目当主の「カーナヴォン伯爵」夫妻(1,921年撮影)
    5代目当主の「カーナヴォン伯爵」夫妻(1,921年撮影)
    「ウォリック城」

    「ウォリック城」はイングランド中部のウォリックシャー・ウォリックと言う場所にあります。中世から存在する古城で元は900年代前半に造られたアングロ・サクソン人の砦。当然軍需拠点として重要な場所であったため、1,068年に征服王と言われた「ウィリアムス」が、砦と同じ場所かその近辺に現在の元となる城を建造しました。また、1,600年代までは現役の城として活躍していたとの事。

    ただし、持ち主・用途等に関してはかなりの変遷があり、1,088年には「ウォリック伯爵」が所有・1,153年には「アンジュリー伯アンリ」(後の「ヘンリー2世」)が接収し囚人の習慣に使った・・・など多くの記録が残されています。

    時代は大きく下り、1,600年代になると庭園が築かれたと言う記録も残っています。当然、幾何学式の庭園であったと推定されますが、一般人が目にできるような資料は殆ど現存しません。また、1,700年代に「ランスロット・ブラウン」により現在に近い「風景式庭園」に大改修されたことは間違いありませんが、詳しいいきさつや現在の姿も、現地を訪れるなどしないと手に入る画像は限定的です。

    
東側のエイヴォン川から見たウォリック城
    東側のエイヴォン川から見たウォリック城
    聖メアリー協会から見た城
    聖メアリー協会から見た城
  • みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,077

    「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

    第60回:「チャッツワース・ハウス」と庭園

    今回から「風景式(イギリス式)庭園」の代表的なものを紹介して行きます。最初に取り上げるのは、本場イギリスにあり、「風景式庭園」作庭の先駆者「ランスロット・ブラウン」(1,715~1,783年)の代表作でもある「チャッツワース・ハウス」とその庭。とは言っても「チャッツワース・ハウス」の歴史は古く最初の建物が完成したのは1,560年代との事。逆に言えば、「風景式庭園」がセットされたのはかなり後だと言う事になります。

    この建造物は「カントリー・ハウス」(イングランドの農村部に建てられた貴族の住居)と呼ばれたもので、スコットランド女王「メアリー」が諸事情あり軟禁されていた事でも良く知られています。ただし、現在の建物は初代デヴォンシャー公「ウィリアム・キャヴェンディッシュ」(1,640~1,707年)時代に造り替えられたもの。また、1,686~1,707年、それに1,820年代にも大規模な増改築が行われています。

    また、1,872年には明治初期にアメリカ・ヨーロッパを歴訪した「岩倉使節団」も訪れ<その壮麗さに驚かされた>と言った記録も残っています。

    「チャッツワース・ハウス」の庭園は、第4代デヴォンシャー公「ウィリアム・キャヴェンディッシュ」(1,720~1,764年)時代に根本的に造り替えられ「風景式庭園」となったもので、設計者は既に提示した通り「ランスロット・ブラウン」。逆に言えば、1,700年代中頃以前は幾何学式の庭園がセットされていたと言う事ですが、その概要については少なくとも一般人が目にすることが出来るような資料は殆ど無く不明。

    現庭園はダーウェント川沿いにあり、長さ14キロメートル・42ヘクタールの規模さがあり、その全てが石塀とフェンスで囲まれています。ただし、1,800年代にも庭園にかなり手が加えられており、この時の改修を担当したのが1,851年のロンドン万博の「水晶宮」・イギリス最初の公園等を設計した人物として知られる「ジョセフ・パクストン」(造園・建築家 1,803~1,865年)でした。「ランスロット・ブラウン」「ジョセフ・パクストン」と言う顔ぶれだけを見ても「チャッツワース・ハウス」庭園がいかに重要な位置づけにあるか一目瞭然でしょう。

    現在の「チャッツワース・ハウス」及びその庭園は「チャッツワース・ハウス・トラスト」と言う組織が管理しており、庭全体の散策・建物内部(30もの豪華な部屋、等)の見学・絵画や彫像コレクションの鑑賞などが出来、人気の観光スポットとなっています。

    また、映画「プライドと偏見」(2,005年)・「侯爵夫人」(2,008年)などのロケ現場にもなっています。

    庭園:巨大な人工滝を上方より観る
    庭園:巨大な人工滝を上方より観る
    建物と橋
    建物と橋
    ダイニングルーム
    ダイニングルーム
    正面階段
    正面階段
    ギャラリー
    ギャラリー
    スコットランド女王「メアリー」:一時期「チャッツワース・ハウス」に軟禁されていた
    スコットランド女王「メアリー」:一時期「チャッツワース・ハウス」に軟禁されていた
    第4代デヴォンシャー公「ウィリアム・キャヴェンディッシュ」
    第4代デヴォンシャー公「ウィリアム・キャヴェンディッシュ」
    「ジョセフ・パクストン」
    「ジョセフ・パクストン」