みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,075

「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

第58回:「風景式(イギリス式)庭園」とは?①

長期にわたり「平面幾何学式(フランス式)庭園」について検証してきました。今回からは、ある意味その対極とも言える「風景式(イギリス式)庭園」を取り上げます。まずは、ヨーロッパ庭園史の概略と「風景式庭園」登場の経緯から・・・

ヨーロッパの庭園は、中東(ペルシャ)にそのルーツがあると言えます。従って、幾何学構成が基本となっていました。中東の場合殆どが砂漠地帯で、それを人工的に加工する事が庭造りであったからです。もう少し具体的に言うと、砂漠の中の一区画に建物を建て、その周辺を塀などで囲い、囲われた内部を計画的(幾何学的)に割付け、その中に水を引き込み、植栽を施す・・・と言う事。極端な言い方をすれば、<自然にチャレンジし異空間を生み出す>事こそ庭造りであったと言う事。

ヨーロッパにもその発想が持ち込まれ、14世紀頃にイタリアでルネサンス(ある種の復古主義)が始まる頃になると、王族・貴族の館で大規模な庭園が造られるようになります。ただ、傾斜地が多いと言うイタリアの地形の特性とギリシャ・ローマ以来の芸術性が持ち込まれ、特有の「露壇式(イタリア式)庭園」が生まれます。ただし、(傾斜を活用すること以外)自然を作り変える事が庭造りだと言う発想は中東と同じで、<庭園=幾何学的構成>と言う基本に変化はありませんでした。

少し時代が下り、ルイ14世の時代、つまり17世紀になるとブルボン王朝に代表されるような、より巨大な権力を持つ王・貴族が現れ、それを見せつけるかのような超大スケールの建造物と庭園が、フランスを中心に造られるようになります。そう、「平面幾何学式(フランス式)庭園」の登場です。フランスは平地が多くそれを活用したため、庭園面積は「露壇式庭園」に比較しはるかに大きくなり、装飾面でもややシンプルとなったものの、自然観とは対極にある<庭園=幾何学構成>と言う基本発想は中東由来のものと同じでした。

しかし中東エリアとは異なり、ヨーロッパには緑り豊かな自然がありました。18世紀になるとそれをもっと活かすべきだと主張する者がイギリスに現れ、<庭園=幾何学構成>と言う考え方を根本的に覆す動きが出てきます。「風景式(イギリス式)庭園」の登場です。つまり、この段階においてようやく中東(ペルシャ)以来の発想から脱した庭園が登場する事になった訳で、画期的変化と言えます。

両者は水と油のよううで「風景式庭園」登場当初は対立関係にありました。だが、時と共に部分的に使い分けるようになるなど、同化の動きも見られるようになります。

上記を参考に、「風景式(イギリス式)庭園」を定義づけると、狭義の解釈では「自然の景観を尊重した広大な庭園」とするのが一般的。なぜ<広大>と言う一言が加わるかと言うと、同庭園もイギリスの王・貴族など権力者の城・宮殿などにセットされ、さらに自然観をより多く取り入れようとすれば広大な敷地が必要となったからです。勿論、イギリスと言う国の地形がそれを可能にしたと言う点も見逃せません。

では、より具体的に誰が「風景式庭園」を創出し、どのような変遷を遂げたのでしょうか?

「タージマハル」(インド)・・・最も美しいペルシャ式庭園の一つ
「タージマハル」(インド)・・・最も美しいペルシャ式庭園の一つ
「ランテ庭園」(イタリア)・・・「露壇式庭園」の代表的存在
「ランテ庭園」(イタリア)・・・「露壇式庭園」の代表的存在
ベルサイユ宮殿(フランス)・・・ここから「平面幾何学式庭園」の歴史が!
ベルサイユ宮殿(フランス)・・・ここから「平面幾何学式庭園」の歴史が!
「ストウ庭園」(イギリス)・・・代表的「風景式庭園」の一つ
「ストウ庭園」(イギリス)・・・代表的「風景式庭園」の一つ
「クロード・ロラン」画・・・この絵画が「風景式庭園」に影響を与えたとされる
「クロード・ロラン」画・・・この絵画が「風景式庭園」に影響を与えたとされる